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2011年 06月 11日

人に歴史あり その2 父の家族のルーツ

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川の流れのように歴史もまた流れていきます

前回は母の家族のルーツでしたが、今回は父の側の家族の歴史について書き残すことにします。
母から「私は全然知らないことばかりだし、大した話もないけれど、パパの方の家族はすごいのよ」と言われました。

何がどうすごいのかは、話を聞くまでまったくもって知らなかったのですごく驚きましたが。



父の母方の実家M家、と言うのは伊万里焼で有名な伊万里にその祖を発し、古くから鍋島藩の御典医、そして学問の主として仕えてきました。

鍋島藩と言うのは鍋島藩の化け猫騒動という話で有名ですね。
あの話はまったくの御伽噺ではなく、実際にお家にまつわる騒動があったのだそうです。
(化け猫はともかくとして、、、苦笑)

M家は明治維新後も代々の歴史を守って現在でも医師の家系で、伊万里だけでなく、戦後アメリカから返還された記念に行われた沖縄海洋博の跡地を沖縄政庁から譲り受け、当時総合病院がなかった沖縄に初めて病院を建てたのだそう。

そんなM家に父も子供の頃からよく出入りしていたそうなのですが、広大なお屋敷の敷地内にはテニスコートがあったり、戦後すぐの時代、当時はとても珍しかったフランス製のジープやオランダ製の薬の調合機器など舶来品がたくさんあったのだとか。

父が東京で就職してから新人として会社のお得意さんに挨拶回りをしていた時の話。
あるところのお偉いさんから「君はどこの出身かね?」と聞かれたので「唐津です」と言う話からそのお偉いさんが伊万里の出身であることが分かり「僕の親戚、伊万里にいますよ、M家と言うのですが」と言うと、その方が「え?!M家の?!」とびっくりされたそうです。
と言うのも、その方の出身地の村には昔小学校がなく、何キロも離れた別の村まで通わなくてはならなかったのですが、その村に広大な茶畑を所有していたM家が「小学校を建ててください」と村に土地を寄贈したことで、村にも小学校が出来たのだそうです。
その小学校の第一期生がそのお偉いさんだったのです。

私も実は似たような体験をしたことがあります。
新人一年生の頃、役員さんの決済を貰いに役員室に行った際、役員さんの手がすくまで時間があり丁度居合わせた秘書室長と世間話になりました。
室長からやはり同じようにどこの出身かと聞かれたので「唐津です」と答えたら「偶然だね、僕はお隣の伊万里なんだよ」と言うので「伊万里に親戚がいます、M家って言うんですが」と答えたら「え?M家のご親戚なの?」と驚かれました。
伊万里でM家と言えば知らない人はいないらしいです^^;

そのM家の側の父の祖母キリは伊万里焼の組合の会長を長年務めていたそうです。
あるお正月、まだ子供だった父が一度だけ初釜開きに連れて行って貰えたそうなのですが、子供のわがままで素焼きの伊万里焼を1つ欲しがったのだとか。
普段であれば完成品以外は表に出すことはご法度なのですが、職人さんが「会長のお孫さんだから、、、」と1つ父にプレゼントしてくれたらしいのです。
それを知った祖母は職人さんにも父にも激怒したのだとか。
父は「子供ながらに今でも覚えてる」と言うくらいなので、相当怒られたらしいです。
そんな訳で実家の蔵には伊万里焼がだいぶあったらしいのですが、いつの間にやらどこかへ消えてしまったそうです。
今も残っていたら相当なお宝だったのに、と父も悔しがってました(苦笑)

ところでそのM家に出入りしていた子供の頃の父が聞いた戦争の恐しい話。

長崎に原爆が投下された際、長崎市内の病院が全滅したため、一番近かった伊万里のM家の総合病院に患者さんたちが運ばれてきたそうです。
ところがあまりにも数が多すぎて病院内に収容しきれず、庭に筵を敷いて、その上に患者さんたちを寝かせたのだとか。

爆風で体中にガラス片が刺さった方が多かったそうなのですが、中には木の葉っぱが骨まで刺さった患者さんもいたそうです。
それほど爆風の威力が強かった、という事なのですが、原爆の恐ろしさを子供だった父もおじさん、おばさんたちからこうして話に聞いて知ったと言っていました。

次は父の父(私の祖父)方の家族の話から。

父の父(私の祖父)の家系はずーーーっとご先祖様から代々唐津藩の城主に仕える上級武士だったそうで、東京に就職が決まった父に祖母が「東京に行くんだったら、ご先祖様のお墓を探してきて欲しい」と言ったそうです。
と言うのも、どの代の人なのかは分かりませんが、ある時代、参勤交代で城主と共に江戸まで出た際、途中小田原の宿で病になり、その地で亡くなったのだそう。
なので祖母が小田原にお墓があるので探してきて、と父に言ったのですが、小田原って言ったって広いし、お寺だって幾つあるか分かったもんじゃありません。
そんな雲を摑むような話、仕事で多忙な父はもちろん今に至るまでお墓探しはしたことがありません(苦笑)

父の祖母(私の曾祖母)の父(ややこしいですが、私の曾々祖父)は思いがけなく歴史に名の残る有名な方でした。
市丸利之助という名前なのですが、聞いても全然私は知らなかったのでピンと来ませんでした。

父から「ほら、クリント・イーストウッドがちょっと前に映画撮ってただろ、あれにも出てた」と言うので、てっきり渡辺謙さんが演じていた人かと思ったら、全然違ってました(汗)
(渡辺謙さんが演じていたのは陸軍司令官、栗林中将です)

父もあまり詳しい事は知らなかったので、自分でネットで調べてみたら市丸中将というのは硫黄島で玉砕した海軍司令官だったそうです。
なのでクリント・イーストウッドが作った映画「硫黄島からの手紙」にも登場しています。
(映画内では長土居政史さんという役者さんが演じていらっしゃったそうです)

ネットで調べてみるとこの市丸中将と言う方は大した人物だったらしく、たくさんの逸話が残されていました。
この映画だけでなく調べてみると過去、藤竜也さん主演(渋い!)でその生涯がTVドラマ化されたりもしてました。見てみたかったなあ、、、

そんな彼の逸話の中でも私の興味を惹いたのが玉砕する直前に書かれたという、当時の米大統領ルーズベルトに宛てた手紙でした。

手紙は↑にリンクを張ったウィキペディアから外部リンクに飛んで読むことが出来ますので、お時間ある方は読んでみて下さい。
この手紙があまりにも正論を突いていたため、アメリカ政府はその発表を数ヶ月伸ばした、と伝えられています。

毎年8月15日は日本では終戦記念日、として知られていますが、こちらイギリスでは「VJ Day」と呼ばれています。
これは「Victory over Japan Day」の略で、対日戦争に勝利したお祝いの日、の意味です。
この日になると新聞やTVのメディアでは勝利したお祝いのイベントなどを報道するのですが、どうにもこうにも日本人の私としてはそれを喜んで見る気にはなれません。

それどころかどこか卑屈で鬱屈した気分で横目で眺めているのが精一杯、と言ったところなのですが、この市丸中将の手紙を読んで、決してそんな気分にはならなくてもいいんだ、と思えるようになりました。

もちろん戦争を美化したり正当化するつもりは毛頭ありません、市丸中将も書かれている通り、戦争よりもむしろ平和を望んでいます。
けれど不幸にもこういった歴史の一ページに名を残すことになってしまった私の曾々祖父が残した手紙は、当時ルーズベルトに宛てたものでしたが、現代にも通じる痛烈な一打を浴びせているような気がしました。

まさか戦争で戦った連合国軍の一国であるイギリスに曾々孫である私が住むようになるなんて、きっと思いもしなかったでしょうねえ、、、ただ不思議だと思えるのが結婚した相手がイギリス人ではなくてアイルランド人だった、という事でしょうか。
過去何年もイギリス人のBFと付き合っても何故か結婚には至らず、アイルランド人である今の夫とはすぐに結婚が決まった、と言うのも何だか因縁話っぽいような、、、(苦笑)
(歴史上イギリスとアイルランドは常に相対していた国で、第二次世界大戦中もアイルランドは参戦することなく中立国としての立場を守っていました。)

長くなりましたが、最後に小話を1つ。
父が「家系の中に唯一いないのは芸能人だなあ、、、あ、待てよそれらしき人が一人いるなあ」と名前を挙げてくれたのが従妹のHさん。
Hさんの旦那様は元中日・西武・阪神で活躍し、現役引退後はフジTVのプロ野球ニュースで長年解説者を務めていた田尾安志さんなのですが、その奥様であるHさん、しばらくの間はワイドショーなどでコメンテーターをしたりしていましたが、最近ではMADAM REY(マダムレイ)という名前で歌手として活躍されているそうです。

父が「でも歌手って言ったってなあ、、、」と苦笑するのでよくよく聞いてみると「ヘビメタとか言っちゃって、皮ジャンかなんか着て歌うんだけど、俺の年じゃヘビメタはちょっと、、、」。
何でもHさんから何度も「ライブ来てよ~」と誘われてるらしいのですが、さすがにもう白髪の方が目立つ年金生活者の父にはライブハウスはとてもじゃないけど似合いそうもありません(苦笑)
思わず父がヘビメタでノリノリな姿を想像して受けてしまった私です^^;


最後までこの話を読んで下さって本当にありがとうございます。
こんな長い私的な話だったので、途中で飽きてしまった方のほうが多かったのではないかしら、なんて思ってたりもします、、、
もしこの話を読んでご自身の家族の歴史について興味を持たれた方がいたら、ぜひ調べてみるといいかもしれません。思いがけない発見があるかもしれませんよ^^
事実ファミリーツリーを作っているリンダは長年その存在を知ることがなかったいとこと初めて会う事が出来たそうです。

最後に、ここに書いた歴史上の話などでもし間違いがあった場合はどうぞご容赦ください。
両親から聞いた話をそのまま書き写しているので実際とは違った事があるかもしれません。

父からは「もういい加減にしてくれ、まるで警察に事情聴取されてるみたいだ!」と辟易されるほどしつこく聞いたお陰でこれだけの逸話を集める事が出来ました。
昔から歴史小説が好きでよく読んでいましたが、自分の家系のルーツも調べてみると小説なみに面白い話があるんだなーなんて新しい発見もありました。
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by jamieoliverlove2 | 2011-06-11 00:00 | Family History


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